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  2007年10月15日(月) 福岡雄太  
  こんにちは、そして、お久しぶりです。福岡雄太です。
前回の日記にも書いてある通り、僕は9月20日をもって松尾さんのもとでのインターンを終了し、現在は鎌倉を離れ大学生活へと戻りました。
インターン終了後から今まで、新学期(新学年)のための生活準備に追われ多忙の日々を送っていたのですが、最近少しずつ落ち着いてきたので、ここで最後の日記を書き記し、今夏のインターンを終わりにしたいと思います。

今回のインターン経験は、率直に言って楽しかったし、とても充実していたと思います。だからこそ、本当に沢山の溢れる想いや意見があり、まとめるのが容易ではないのですが(僕の文章力のなさも相まって)、できるだけ簡潔に項目別に話していきたいと思います。

まず、僕がインターンを始めた目的と、その目的が達成されたのかという点についてお話します。僕は現在、大学でアジア、アフリカを中心に第三世界と呼ばれる発展途上国の政治と社会について勉強しています。また、政治理論や政治哲学にも興味があり授業を聴講し、読書によって見識を深めようと努力しています。しかしながら、いくら本を読み、論文を書いて提出してみても、満たされない点、しっくりこない点がありました。授業や本で様々な用語を習い、それらを用いて自分の考えを組み立て、議論に参加しても、まるで自分の言葉が内実のないピーマンのようだ、と常々感じていました。つまり、例えば、“民主主義”というような言葉の概念的な意味は知っていても、その言葉を現実と結びつけることができず、いくらその言葉を使って論理を組立てたとしても、自分の意見の中の“民主主義”は“現実の民主主義”から乖離した“非現実的な民主主義”であるように感じてならなかったのです。 
だから、机上で政治用語遊びだけをしていては実際の政治については何もわからないなと思っていました。また、外に出て、政治を肌で感じ取り、机上と実践の間のコネクションを作る必要性を強く感じていました。
これがインターンを始めた根本的な動機でした。 

この机上と実践を結びつける、という目標は、インターンを終えてみて、達成されたと思います。特に前出の“民主主義”や、 “地方自治”、“市民立法”等という用語を使う際に、頭の中できちんとイメージが浮かび上がるようになったと思います。インターンを通して見た様々な現場の光景が、言葉とともに浮上し、僕の意見も前よりも内実が増したと感じます。ピーマンに肉が詰まって、きちんとした料理になった気分です。インターン前と比べて、今の方が大学の授業の飲み込みも早くなったと思います。
また、今回のインターンを通して、自分の問題意識が強く働き、興味を持って臨める政治の分野が何か、が見えてきました。大学生活は残り2年ですが、これからはこの分野に関しての勉強を重点的に取り組んでいければ、と思っています。

次に松尾さんについての感想を述べたいと思います。
インターンを通して、色々な議員さんや市民の方々に会ってきて、彼らがよく松尾さんは素晴らしい政治家だ!とか、君は本当にイイ人のところでインターンしているよ!という風に松尾さんを賞賛する声はかなり聞こえてきました。
でも僕はそういう意見を笑顔で返しながらも、常に冷静に捉えようと努力してきました。なぜ、皆は松尾さんを賞賛するのか?どういう点で素晴らしいのか?本心で言っているのか?皮肉ではないのか? というように、常に周りの意見に流されないように気をつけてきました。 

そこでまずは松尾さんのインターンに内容に関しての感想ですが、これは本当に素晴らしいと思いましたし、何度松尾さんにお礼を言っても言い切れないと思っています。ハードなスケジュールの中、常に隣に密着して同行させてもらい、僕の稚拙な話にも耳を傾けてもらい、また松尾さんから色々な話をして頂きました。他の政治家の下でインターンした人の話を聞くと、議員さんとはあまり話すことができず、どちらかというと秘書さんの雑用インターンのようになってしまうところもあるようです。だから、それに比べ、松尾さんの所でのインターンはとても貴重な体験だったと思います。本当に感謝しています。

松尾さんは素晴らしい議員だ!というような意見がありましたが、これについての感想はまだ留保しておきたいと思います。なぜなら、それについてコメントをするには、とても短い期間しか一緒にいなかったわけですし、“素晴らしい議員”の定義もよくわかっていないからです。ただ、“政治家松尾崇”ではなく“人間松尾崇”については、とても印象深い点がありました。 それは、松尾さんの偉ぶらないところと、見た目や年齢等に関わるどんな偏見も持たず、様々な人に平等に接しようとする態度です。ある日車の中で、人を見た目で判断しない、というような信念を聞いたときの事が強く心に残っています。若者の格好がだらしないとか汚らしい、女々しい等と言って、見た目だけで若者の中身まで見透かしたような気になっている人、それだけで若者の善悪を判断する人、それだけで若者の声を聞こうとしない人、がいると思います。若者だから、青二才だ、ヒヨッコめ!等と言い、それだけで若者の意見を一蹴してしまう人。そのような人々の存在はとても残念でなりません。ですが、松尾さんは(まあ、松尾さんも若者に属していると思いますが)、そういった軽率な判断をしない人だと思いました。見た目がどうであれ、心をしっかり見ようとする人だと思いました。しかも、よく地位を確立した人にありがちな、“教条的”なところがほとんど感じられませんでした。(つまり、地位や年齢の下の人に対して、上から見下した態度で、物事を教えこもうとすること)
それゆえ、松尾さんはとてもシームレス(境界のない)人だと思います。老若男女、金持ち貧乏、清潔不潔、秀才凡才を問わず(!?)様々な人と交流することのできる人、またそのような様々な人が余計な障害なく、気持ちよくその心を吐露できる相手、それが松尾さんであり、“人間松尾崇”の素晴らしさなのではないか、と思いました。

ただ、今でもわからないことが多くて(笑)、特に松尾さんは、どのような“心の軸”の持ち主なのか、という点が、未だに謎であります。つまり、時々松尾さんを見ていると、一体この人はとてもドライなのか、それともとても感情的なのか、とか、強い信念があるのかそれとも流されているだけなのか、という事が、全く掴めないことが多々ありました。だから、松尾さんの“本心”(実はどのような性格をしているか)が結局よくわからず、不思議な人だなあ、というのが今の感想です。この点はまだ分析途中です(笑)

最後に、今まで毎回人一倍長い日記を書いてきたわけですが、それを許してくださった(!?)松尾さん、及び読んでくださった方々に感謝したいと思います。何時でも、自分の意見や感想を伝える時は絶対手は抜かない、ということを僕はいつも信念として持っているのですが、この日記に対してもそれを心に持ちつつ臨んできました。稚拙な文章でもいいから “楽しかった”とか“うれしかった”というような軽薄な言葉に終始することなく、容赦なく、自分の気持ちをきちんと発露すること。短い間でしたけれど、この信念を曲げることなく日記を続けることが出来てよかったです。

今回のインターンは僕の人生の、とても良い思い出の一つになりました。松尾さん、短い間どうもありがとうございました。そしてまた、これからもよろしくお願いします。同じ鎌倉を愛するものとして。

p.s. 後、真鍋さん、栗原さんもお疲れさまでした。一緒にインターンできて楽しかったです。
来年会う時は是非、みんな打ち上げでもしましょう!

University of London, SOAS 政治学部 2年生 福岡雄太
 
 
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